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2013年9月16日 星期一

日本地理教室 1:第十課 福島県 (課文)


文章日期:2012-04-17 15:29
第十課  福島県

福島県は東北地方の最も南に位置しています。面積は1万3782.75平方キロで、日本全体から見ると三番目の広さです。県の北側は宮城県と山形県に、西側は新潟県に、南側は茨(いばら)城(き)県や栃(とち)木(ぎ)県、群馬県に隣接し、東側は太平洋に面しています。  福島縣位於東北地方的最南端。面積 1 萬 3782.75 平方公里,從日本整體來看是第三大的地方。縣的北邊是宮城縣和山形縣,西邊是新潟縣,南邊鄰接茨城縣和櫪木縣、群馬縣,東邊面臨太平洋。

福島県は東西に広い形をしています。その福島県の東側はを阿(あ)武(ぶ)隈(くま)高地が、中央を奥羽山脈が、新潟県との県境に当たる西側を越(えち)後(ご)山脈が、それぞれ南北に縦(じゅう)断(だん)しています。越後山脈と奥羽山脈の間には只(ただ)見(み)川という川が流れていて、その流域には平地が広がっています。これが会(あい)津(づ)盆地です。奥羽山脈と阿武隈高地の間には阿武隈川が流れています。この川の流域にも、郡(こおり)山盆地と福島盆地という平地が広がっています。県庁所在地の福島市は、福島盆地の中にあります。太平洋に面した地域には狭いながらも平野があります。しかし、福島県全体としては山がちな地形のため、人口はこれらの盆地や平野に集中しています。  福島縣是東西向寬廣的地形,福島縣的東邊有阿武隈高地,中央有奧羽山脈,相當於新潟縣的交界處的西邊有越後山脈,是南北縱貫的地形。越後山脈和奧羽山脈之間有只見川流經,那個流域形成寬廣的平原。那是會津盆地。奧羽山脈和阿武隈高地之間有阿武隈川流經。這個流域形成了郡山盆地和福島盆地寬廣的平原。縣廳所在地的福島市在福島盆地之間,是面臨太平洋的地區,雖然狹小但是有平原。可是,以福島縣整體來看是多山地形,人口集中在盆地和平原這裡。

福島県は、奥羽山脈と阿武隈高地によって、三つの地域に分けられています。それぞれ「浜(はま)通り」、「中通り」、「会津」と呼ばれていますが、同じ福島県とはいっても、これらの地域はかなり違った気候的特徴を持っています。  福島縣,由於奧羽山脈和阿武隈高地,被劃分為三個地區。它們被叫做「濱通」、「中通」、「會津」,雖然同樣是在福島縣,這些地區擁有的氣候特徵是全然不同的。

浜通り地方は太平洋に面しているため、その気候も太平洋側の気候となっています。梅雨の時期と秋には比較的多くの雨が降りますが、夏は太平洋から涼しい風が吹き込むため、気温はそれほど高くなりません。冬は福島県の中ではいちばん暖かい地域で、雪もほとんど降りません。  濱通地區面臨太平洋,那裡也成為太平洋側的氣候。梅雨時期和秋天有比較多的降雨量,由於夏天從太平洋吹進來涼爽的風,氣溫變得不那樣的熱。冬天在福島縣是最溫暖的地區,幾乎不太下雪。

会津地方は日本海側の気候に属しています。夏は盆地などの平地では気温が高く、山地では気温が低くなる傾向があります。そして冬は大量の雪が降り、気温も非常に低くなります。  會津地區屬於日本海側的氣候,夏天時盆地等的平原地形氣溫很高,山地的氣溫則偏向變低。而且冬天時大量降雪,氣溫也變得非常地低。

中通り地方の気候を一言で言うと。「太平洋側の気候と日本海側の気候の中間」ということになるでしょう。夏は山地ではそれほど高温にはなりませんが、盆地では非常に蒸し暑くなります。冬は冷たい風が吹き込むため気温が低くなりがちです。雪も降りますが、会津地方ほど多くはありません。  中通地方的氣候一語言之。「太平洋側的氣候和日本海側的氣候的中間」可以這樣說吧。夏天在山地不那麼高溫,在盆地非常地悶熱。冬天由於冷風吹進來,往往氣溫變低。也下雪但沒有會津地方多。

昔の福島県では養(よう)蚕(さん)が最も重要な産業でしたが、現在では地域の特色を生かして、さまざまな産業が盛んに行われています。郡(こおり)山盆地や会津盆地では稲(いね)の栽培が盛んである一方、福島盆地では桃やリンゴ、梨、ぶどう、サクランボなどの果物が栽培されいます。浜通り地方は昔から近海漁業が盛んでした。今も太平洋側のいわき市を中心に、多くの海産物が水揚げされています。また、浜通り地方北部の相馬市を中心とした地域は、昔から名馬の山地として有名でした。今は馬の生産で培(つちか)われた技(ぎ)術(じゅつ)を応用して、酪(らく)農(のう)が行われています。  從前的福島縣養蠶是最重要的產業,現在利用地區的特色,盛行各式各樣的產業。群山盆地和會津盆地盛行稻米的栽培,另一面,在福島盆地有桃子和蘋果、梨子、葡萄、櫻桃等水果被栽培。濱通地方從以前近海漁業盛產。現在也以太平洋側的磐城市為中心,生產許多的水產物。還有,以濱通地方北部的相馬市為中心的地區,從以前就以名馬的山地出名。現在馬的生產應用培育技術,酪農盛行。

福島県は東北地方に属するとはいっても、県の南側は関東地方の北部に隣接しているため、東京を中心とした首都圏の関(かか)わりが強い県でもあります。特にエネルギーの供給源として重要な役(やく)割(わ)りを果たしています。  雖然說福島縣屬於東北地方,因為縣的南邊鄰接關東地方的北部,和以東京為中心的首都圈關係密切。尤其以能源的供給為重要的,發揮了作用。

明治時代に、現在の浜通り地方南部で石(せき)炭(たん)の採(さい)掘(くつ)が始まりました。これが常(じょう)磐(ばん)炭(たん)田(でん)の開発です。やがて、ここで採掘された石炭は日本の工業化に貢(こう)献(けん)することになるのですが、この開発事業を契(けい)機(き)に、首都圏にエネルギーを供給するための開発が福島県内で盛んに行われるようになります。例えば、只見川上流には大規模なダムが建設され、日本最大の発電量を誇(ほこ)る水力発電所も作られました。また、太平洋側には原子力発電所も建設されています。これらの発電所で作られた電力の多くは、東京をはじめとする首都圏に送られています。現在では石炭の採掘は行われていませんが、常磐炭田の開発が始まって以来、約100年にわたって、福島県は首都・東京にエネルギーを供給し続けているのです。  明治時代,在現在的濱通地方南部開始挖掘煤炭。那裡有常磐炭田的開發。不久,在這裡被挖掘的煤炭,成為日本工業化貢獻的原因,但開發這個事業的契機,是因為供給首都圈能源,在福島縣內施行的關係。例如,只見川上流大規模的興建水庫,以日本最大的發電量為傲,也作為水力發電所。還有,在太平洋側興建了核能發電廠。這裡的發電廠大部分作為電力,以東京為首被送往首都圈。現在煤炭的挖掘已不施行了,但是從常磐炭田的開發開始以來,大約在 100 年的時間內,福島縣持續供給電力給首都──東京。

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